全体で捉えて、解釈しない
2007年06月18日
土日に参加してきたゲシュタルト療法セミナーの、今の僕の感想は
「全体で捉えて、解釈しない」
という言葉にしか表現できません。
いろんなコーチングやファシリテーションに応用できる「スキル」もあったと思いますが、そうしたスキルを取り上げたり、理論的な構造を解説すると、ズレてしまう気がします。
最近の世の中は「分かりやすいもの」が多くなってきているように感じますが、分かりやすければOKというのも、少し危険な気がしていました。
「分かる」とは文字通り「分ける」につながり、近代科学が取り入れた要素還元主義につながるようにも思えます。
なんでも、細かく分けて単純化して公式化する。
その部分の公式を、全体や他の事例にも適用してしまう。
そうした手法に一面では必要だと思いながら、それだけでは全てを捉えることはできないとも考えていました。
ゲシュタルトは、全体を捉える手法で、創設者のパールズ博士自身が理論的な説明をしない主義だったので著書もすくないそうです。
言葉にしてしまうとズレてしまうもの、体験して体感して納得できればそれでいいという世界もありですね。
禅の修業などしたことないのですが、ワークを体験して感じたのは東洋哲学のような世界でした。それを講師につたえると、パールズ博士も禅を体験・研究したそうで、ゲシュタルトでの「気づき」を「little SATORI」と呼んでいたと知りました。
そもそも「気づき」という言葉や概念を使いはじめたのはゲシュタルトだったそうです。いまは、コーチングを初めいろんな自己啓発や心理学にも当たり前に使われていますが、自分で納得してその言葉を使っている人はどれだけいるのか疑問です。
ということで、ゲシュタルトの感想は、言葉でこれ以上説明するとズレしまう気がするので、直接会って話す場合には僕の体験をお伝えしますが、ブログへの文字での記載は、ここまでが限界と感じました。
体験しなけばわからないことは、説明しないほうが良いですね。
そう思いました。