少年のような目をした高校の先生に会いました。
友人の紹介で会った、農業高校の先生なのですが、目がまるで少年のようで、作物の話をしているときの姿は、子供そのもののようでした。
その先生は、肥料や農薬を全く使わない稲作や、休耕田をそのまま活用して栽培する野菜に取り組んでいらっしゃいました。
肥料や農薬を使わない稲作は、今年が3年目でやっと先が見えてきたとのことでした。
そんな話を聴いていてふと思ったのは、「米作りは、年に1回しかチャレンジできない。」ということです。
仕事でもスポーツでも、チャレンジの機会は自分で何度も作り出すことができるものが多いですが、自然を相手にする農業では、気候や作物にもよりますが、チャレンジは年に1回で、1年かけなければ取り組んだ結果は分からない。
時間軸の単位が、あわただしい現代社会とは違う、ということに気づきました。
年に1度しかトライできないとなると、人生でトライできる回数も見えてきます。
そうなると、当然ながらその1回に対する”想い”というのは、大変なものになるでしょう。
ゆっくりしか結果がでない、年に1度しかトライできない。
そうした制約が、かえって真剣な人を育てるのかも知れません。
初めて訪れた農業高校でしたが、その広さと空気感、そして人は、別世界のような落ち着きを漂わせるものでした。
こうした教育者がいるということに、とても安心し、富山にこうした学校があることを誇りに思えてきました。