嫌われるトップと、呆れられるトップ

自分がトップになるとき、次のどちらかしか選べないとしたら、どっちを選ぶでしょうか?

1.嫌われるトップ

2.呆れられるトップ

コーチとして会社や組織に関わる中で、リーダーやトップの姿勢について考えます。

そうした時に、理想は全てのメンバーや社員に好かれ、慕われ、尊敬される事でしょうが、なかなかそうはいきません。

人それぞれ望むものが違うもの。

全てのメンバーの期待に応えようとすると出来ないこともあるでしょう。

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嫌っているのか、呆れているのか?

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最近、報道される政治家や大企業の経営者の姿に、魅力がないのはどうしてかと考えていました。

自分に問いかけると、人間として彼らを嫌う感情はそんなにはないようだ。

だけども、発言や行動をみていて信頼感が低下しているのは、「呆れているから」だと思えてきました。

たしかに発言内容に反対する気持ちになることはあるが、あくまで嫌っているのは発言内容であり、人として否定する必要はない。

それに対して、呆れている感情は、どちらかというとその人全体に近いものに幻滅感があるように思える。

人格否定はしないまでも、能力全般にかなりマイナス評価をしてしまっている。

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嫌われる覚悟はあるか

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そう考えると、誰にでも好かれよう(人気・支持率をあげよう)と、目先のことにとらわれて言動がブレることが、結局は誰にも好かれないという結果を招いているのではないでしょうか。

リーダーに求められる役割に、メンバーや組織がより良い未来に近付くための「方向を指し示す」ことがあるとするなら、たとえ短期的には嫌われても、それを明確に主張する覚悟が必要だと思います。

何割かのメンバーに意見は嫌われても、能力は人格は認められるリーダー。

会社でもコミュニティでも、そうしたリーダーがいてこそ、物事が前進して行くのだと思います。

嫌われる覚悟を持つ。

コーチングでも、必要と思った時には勇気をもってフィードバックします。

嫌われることを恐れず、呆れられることを恐れたいと思います。