日曜に、日本コーチ協会日本海チャプターの1dayワークショップの講師を終えて帰宅すると、4歳の次男が右ひじに湿布を貼って寝込んでいました。
ベッドから落ちて、救急病院へ行ってきたらしい。
レントゲンでは骨に異常はないのだが、翌日まで痛むようだと整形外科へ行くようにと言われたそうです。
昨日の朝、整形外科へ行ってレントゲンを取り直すと、見事に骨が折れて、剥離した破片がズレていました。(前日のレントゲンは何だったのだろう?)
すぐに総合病院へ行くようにと紹介状をもらって、県立中央病院へ。
即日、全身麻酔での緊急手術となりました。
久しぶりに入った総合病院では、いろいろ面白い発見・体験がありましたが、それはさておき、感じたことは「夫婦そろって、なんでこんなに脳天気なのだろう?」ということです。
「折れたか~、そりゃ手術だよな。」
って素直に納得
「で、これから必要なことは?」
と入院に必要なものを考え、病院の指示に従って準備。その間、夫婦でお互いに笑っていることが殆ど。まわりから見たら、おかしな親かも知れませんね。
起こってしまった事実に「なんで!?」と、問いかけても、その事実は変らない。
その事実に、これからどう対処するか、そしてどんな意味を持たせるかは、自分の選択だと思っています。
そうした気持ちになれるようになったのも、コーチングやNLPなどのおかげかもしれません。
でも、考えてみれば昔から僕にはそんなとこがあったのかも。
僕自身も中学、高校と骨折を2度し、左腕の前腕は曲がってズレているので、右腕より5cm短く、手首は内側には曲がらず捩ることも半分しかできません。
腕立て伏せや逆立ちでは、左は手のひらを着くことができないので指立てでやってきました。それでもスポーツで苦労したという思いはないし、国体出場もできたし、なんとかなってきましたね。(たぶん、一緒に国体へ行ったチームメイトも、僕の左手のことは殆ど知らないと思います)
もちろん元通りになるのが良いのでしょうが、そうならないからと嘆いて何もしないより、残った機能でできることをやっていれば、機能障害は何のハンディにもなりませんでした。
骨折という身体のケガと同様に、心もケガも同じかもしれません。心もケガをして回復できない障害が残ることがあるかも知れません。
その残った傷跡を気にして囚われるのか、それを受け入れてできることに向かうのかは、選択することができるのではないでしょうか。
まだカミングアウトする勇気はありませんが、僕もかなりの傷跡が心に残っています。今は、それはそれで自分に必要な経験だったと考え、そこから何を学んだかを考えています。
こうした事を意識的にできるようになったのは、やはりコーチングと出会い、そしてNLPなどの心理学を学んだおかげかもしれません。
なので、コーチングやNLPを広める活動は、僕にとっては仕事と言うより楽しみです。
学びは体験と組み合わせると、とても分かりますね。
人は、「学び」と「体験」で成長すると思えてきました。
さて、
次男の手術は、、、無事に終ったはずです。
手術には、仕事で立ち会っておらず、遅く帰ったのでまだ結果を聞いていませんが、何かあれば病院に泊まった妻から連絡があったはずなので、無事成功したのでしょう。
これから朝食作って、長男を学校へ送り出したら病院へ行ってみます。
ちょっとのんき過ぎでしょうか。